服部シライトのローカルな覚書

福島県の大学と自治体に所属しながら、 地域が抱えている課題に取り組んでいます。国内外の論文や著書をベースにした知識とノウハウの紹介と、実際に地域で実践しているプロジェクトについて発信します。

アートスペースとしての廃校利用を考える

民間活用、都市農村交流ときて、

今回のテーマは「アート」です。

 

ここ最近はビジネスパーソンの方々も

アートを意識している人が

多くなりましたよね。

 

山口周さんが書いた美意識についての

本がベストセラーになりました。

https://www.amazon.co.jp/世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか-経営における「アート」と「サイエンス」-光文社新書-山口-周/dp/4334039960

 

また地域づくりにおいても「アート」という

キーワードは現在進行形で注目されています。

芸術祭やビエンナーレを開催する地域も

ここ10年で増えてきています。

自治体もアートが課題が山積である地域の

突破口になるのではないか、

と期待を寄せています。

 

今回は、立教大学の権安理さん論文、

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廃校の可能性と芸術の公共性

ーアートスペースとしての廃校利用ー

立教大学コミュニティ福祉学部 紀要第18号2016)

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を参照してアートによる廃校活用の意味を

考えていきたいと思います。

 

背景・状況

2014年段階の廃校活用の内訳をみると、

活用されてる5100校のうち107校が

アートに関係する施設となっています。

 

またアートと施設の背景を見てみると、

ハコモノ行政(1970-80年代)によって、

アートとハコモノの関係性が問われた

経緯があります。

かつて日本で、文化ホールや文化会館などのハコモノ」が多く建設された時代があった。この時代には、多額の税金を投入してつくったものの、それが有効に活用されていないことが問題視されてもいた。だが他方で、文化系の団体から、稽古場や創作、交流の場の不足が指摘されてもいた。質の高い文化ホールの数はむしろ不足している(森1991:4-9)。

権安理  廃校の可能性と芸術の公共性立教大学コミュニティ福祉学部 紀要第18号2016) 

文化ホールが文化的なまちをつくる」というスローガンの下で、文化ホールの建設自体は肯定し、それが単なる建物ではなく、文化の「拠点」となることが重要であると主張した。「『行政の財産』としての文化ホールを『市民文化の拠点』につくり変えていく市民自治の営みが地域に市民文化をつくるのであろう」(森1991:30)。アートと施設もしくはハコモノの関係が、改めて問われたのである。

権安理  廃校の可能性と芸術の公共性(立教大学コミュニティ福祉学部 紀要第18号2016)

 

権さんが主張していること。

第一は、廃校こそがパブッリックアートの場に適していることである。そして第二は、使われなくなった“公共施設”である廃校が、パブリックアートの場となることによって、“公共空間”となる可能性を持っていることである。教育をするための公共施設であった学校が、廃校となった後、パブリックアートの場となることで公共空間になる。施設(“ハコモノ”)から空間(“スペース”)への転換である。

権安理  廃校の可能性と芸術の公共性立教大学コミュニティ福祉学部 紀要第18号2016)

 

パブリックアートの定義

第一に、パブリックアートは私的に隠蔽されることなく、公開されるものである。ただし公開される場は、いわゆる“外”である必要はなく公共施設であるとも限らない。また、作品の所有者も重要ではない重要なのは公開性である。だが他方で、それは単に公開されれば、直ちにパブリックアートとなるわけではない。多くの芸術作品も美術館や博物館などで公開されている。したがって第二に、パブリックアート公開性で重要なのは、それが何らかの意味で、場と人とものの「関係の中」に置かれることである。

権安理  廃校の可能性と芸術の公共性立教大学コミュニティ福祉学部 紀要第18号2016)

 アートや文化・芸術の話をする時には、

言葉を定義付けさせることが重要です。

いろんな解釈がある中で、どの立場を

とるのかをはっきりさせることで、

有効なコミュニケーションが

できるようになります。

 

次回は具体的な事例を見ながら、

アートによる廃校活用を見てきたい

と思います。