【書評】ビレッジプライド ③東京進出の壁と迷走
前回は邑南町における、
情報発信とコンテンツや
ブランドの作り方について
紹介しました。
ネットショップの成果と限界
「みずほスタイル」は、
試行錯誤を繰り返したことで、
売上が伸び、専属スタッフを
雇えるようになりました。
しかし寺本さんはネットショップ
だけでは住民の経済状況が良くなる
可能性は低いと感じていました。
そこで外貨を獲得するシステムづくりを
さらに進めるため東京進出を企てます。
生産者が人を雇えるようになるためにも、もっと売上が必要だった。そうなると、ネットショップ以外に販路を広げなくてはいけない。僕は「それならば東京で売ろう!」と考えた。
僕は役場の会議で「これから販路の拡大をしていく上で、東京にターゲットを絞っていくべきです!」力説した。当時、東京に出張するのは町長ぐらいで、職員はよほどのことがない限り行くことはなかったのだが、「販路開拓のため東京を目指そう!」と提案したのだ。
寺本英仁『ビレッジプライド』86-87ページ
東京進出の壁に直撃
明日はリニューアル後、初のにほんばし島根館会見。
— Ikuto Hidaka (@hidakaikuto) September 24, 2018
ご縁の国しまねツアー2018の発表会見です。豊田真奈美さん、しまねっこも出席。
お近くの方はぜひ!#ご縁の国しまね#しまねっこ#にほんばし島根館 pic.twitter.com/Sbe3R9J4dH
まずは東京のアンテナショップで
邑南町フェアを開催しました。
そのフェアの開催をきっかけに、
島根県庁から大手バイヤー
を紹介してもらいました。
そこで一流ホテルのフェアが
決まりかけましたが、圧倒的に
物量が足りなく断念することに…
東京進出の方向転換を
余儀なくされました。
行政はよく「食のブランド化」と口にする。もう少し具体的に言えばブランド化=差別化というのが僕の認識だ。しかし、よそとの違いを打ち出そうにも、前提として東京という巨大な胃袋を安定的に満たすための量を生産できなくては話にならない。それをはっきりと悟った。人口が減少して地域内の経済が成り立たない。だから、大消費地である東京で外貨を獲得するために東京に進出する、という「外貨獲得」を目指していた。
ところが、人口が減少している邑南町では、生産者自体も少なくなっているのだから、東京に送り出すだけの量をつくるなんて絶望的に困難なことなのである。
邑南町東京PRセンターの設置
邑南町の素晴らしさをアピールする場
人口減少によって地域経済の循環が成立しなくなることから脱するため、「みずほスタイル」をスタート、さらに東京での営業活動で販路を求めたが、生産者の人材不足から一定の量を供給できないことがわかった。それならばと、と打ち出した方針は2点。
①都市部では販路を求めるより、邑南町のプロモーションに徹底し、町自体をまるごとブランド化すること
②地元では生産者の育成と、これから町の産業を担ってくれる人材を確保していくこと
町のブランド化の手始めとして、「邑南町東京PRセンター」を設置した。初期のPRセンターの役割は、国の助成制度の情報収集と、邑南町のブランド化に効果的な東京の人材とのコネクションづくりだった。東京PRセンターの職員は民間に委託して、現在3代目だ。町の成長段階においてニーズを明確にして適合する人にお願いしているので、とても上手く機能している。
寺本英仁『ビレッジプライド』98ページ
生産者の育成を目的とした、
食に関するセミナーの開催
国の補助事業を活用して毎年約50講座、2013年まで6年間も続けた。料理家はもちろんのこと、パッケージのデザインの知識を身につけてもらおうと、地域特産品のブランド開発で著名なデザイナーも招聘した。
「みずほスタイル」の生産者をはじめ、町内の多くの人々がこの講座を受講することで、今までになかった知識や技術に触れ、ぐんと底上げすることができた。
寺本英仁『ビレッジプライド』99ページ
東京でのPRを講師にお願い
そのために関係性を深める
専門家の人たちは講演会で話したり、テレビ、新聞、雑誌などから取材を受けたりする機会も多いから、邑南町のことを話してもらうようにお願いしたのだ。
協力してもらうためには、講師のことをよく理解しておくのは当たり前だ。僕はますます事前勉強に身が入った。講師も一回呼ばれて終わりなら、邑南町に関心を持たないはずだから、僕は同じ講師に何度もセミナーを依頼した。
寺本英仁『ビレッジプライド』100ページ
東京における
邑南町のブランディングの試み
東京のレストランを貸し切っては邑南町の食材を持ち込み、食のブロガーや料理研究家を招いて料理を振る舞うなどのイベントを試みたのだ。
そのためには、やはり加工・調理できる人間が必要になる。国の雇用対策事業に応募して、役場内に「食のプロジェクトチーム」を結成した。
ただ、そうやってレシピ開発をして、食のブロガーや料理研究家に石見和牛肉やキャビアを振る舞ってみても、邑南町食材のブランド化に効果があったとはとても言えない。
寺本英仁『ビレッジプライド』100-101ページ
「寺本さんのは地域振興ではなくて地域信仰」
レストランの貸切でお世話になっていた、東京神田の「なみへい」のオーナー、川野真理子さんからズバリ指摘された。
華々しく動いているようだが収益にはつながらないのだから、地域経済の活性化という「振興」になっていない。結局、お祭りを開催して「邑南町は素晴らしい!」と声を上げているだけなので「信仰」と言われても返す言葉が見つからない。
寺本英仁『ビレッジプライド』101-102ページ
寺本さんの東京進出チャレンジは
2008年から2010年まで約3年間
続きました。
本の中では迷走や空回りと書いて
ありますが、葛藤しながらも
トライアンドエラーを続けた背景には
熱意や邑南町への想いを感じます。