服部シライトのローカルな覚書

福島県の大学と自治体に所属しながら、 地域が抱えている課題に取り組んでいます。国内外の論文や著書をベースにした知識とノウハウの紹介と、実際に地域で実践しているプロジェクトについて発信します。

【若新雄純】福井県鯖江市のJK課から産学官連携を考える

鯖江市役所JK課」は、2014年に鯖江市内の

女子高生がメンバーとなって、まちづくり

活動を始めた日本初のプロジェクトです。

 

みなさんもテレビや新聞で見かけた

ことがあるのではないでしょうか。

 

 

このプロジェクトは、

「全国地域づくり推進協議会会長賞」

ふるさとづくり大賞「総務大臣賞」

を受賞しています。

 

このプロジェクトを企画・実施したのは

若新雄純さん。

慶應義塾大学の特任准教授であり、

様々なプロジェクトを手がけています。

専門は産業・組織心理学、コミュニケーション論。

 

若新さんの手がけるプロジェクトを掘り下げる事で、

若新さんのエッセンスや他のプロジェクトでも

役に立つようなポイントをピックアップして

いきたいと思います。

 

①プロい市民とゆるい市民

まちづくりの場合、既存勢力として、市の職員や議員、地域活動に熱心な「プロい市民」がいます。一方で、まちづくりに関係なく暮らしている「ゆるい市民」として、女子高生などがいる。「ゆるい市民」にもっと注目すべきではないかという問題意識の中で、僕が鯖江市に提案し、2014年に始まったのが、女子高生がまちづくりに参加する「鯖江市役所JK課」です。

事業構想 2016年5月号より

JK課の提案に対して職員や議員は反対。

しかし鯖江市長が理解してくれて、

市長からのトップダウンによって実現しました。

多くの地域は、「市民が主役」と言いながらも、実際に主役を任せることはなかなかできていません。「JK課」の活動内容は、メンバーである女子高生が自分たちで決めます。

ゆるい市民である女子高生をかたい組織の行政

がサポートする事で、行政サイドに変化が。

若新「実は職員1人ひとりがかたいのではなくて、市民や地域の側に「公務員はこうあるべき」という考えが強くあって、職員の行動が抑圧されていたのかもしれません。もちろん、税金や市民の個人情報を扱うような部署には、それをしっかり運用するための「かたさ」が必要だと思いますが、高橋さんが所属する市民協働課では、市民とどうやって垣根を越えて柔軟に連携するかがテーマです。ひとくくりに公務員といっても、「ゆるい」から「かたい」まで、いろんな役割があっていいと思います。そういった公務員のあり方の多様化も、JK課を通して見えてきたということですよね。」

総務大臣賞の「鯖江市役所JK課」〜担当職員が語る苦悩と変化〜 PRESIDENT Online 2016.2.9

 

②大人が教育しない

①で起きた、かたい行政に起こった変化には

運営サイドのルールが不可欠です。

それは「教育」という考え方を手放す事です。

若新「JK課をスタートさせた時の運営側のルールとして、「大人が教育しない」とか「大人がルールを押し付けない」ということを徹底してもらうようお願いしました。あの時、高橋さんは「市役所に出入りするからには、挨拶だけはちゃんと教えたい」と挨拶にこだわっていました。でも、「挨拶も、ひとまず教えずに待ってほしい」とお願いしました。」

総務大臣賞の「鯖江市役所JK課」〜担当職員が語る苦悩と変化〜 PRESIDENT Online 2016.2.9

教育を手放すことは、女子高生・行政職員

どちらにとっても、良いことがあります。

 

女子高生にとっては、成績が付かないので、

大人や先生を気にすることなく、良い子ぶる

ことなく、言いたいこと、やりたいことを

素直に活動の中で発揮できます。

 

行政職員にとっては、大人がルールを押し付け

てはいけないということで「どう女子高生と

接すれば良いのか」と途方に暮れるところから

スタートになります。

しかしこの悩みながら活動をしていくことで、

行政にありがちな「前例踏襲主義」や、

行政ならではの思い込みやルールに縛られること

なく、本質的に活動を進めることができるように

なります。

 

①と②を見ていて興味深いのは、

教えることを手放すことで、

子どもはより多くのことを学び、

また大人も一緒になって学ぶことが

できるということです。

 

学校の先生や行政職員は、教育を手放すこと、

活動や事業に成果をつけないこと、に対して

抵抗感があるようですが、これから産学官連携

プロジェクトを実施していく上でヒントに

なりそうです。

【産学連携】CASE1 . 島根県立大学 出雲キャンパス

ここ十数年間、各分野で多くの産学連携、

産官学連携による事業が各地の学校で

実施されてきました。

このブログでは主に食・農・デザインに

関するケースを紹介していきます。

 

今回は次の論文を参照して、

島根県のケースを紹介します。

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島根県立大学出雲キャンパス

での産学連携商品開発の

現状と問題点

山下一也・藤田小矢香・吉田洋子

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018

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【産学連携と大学の使命の変化】

産学連携が本格化して既に10数年になるが、大学の使命も研究、教育の2本柱に社会貢献やその成果の還元が加わった3本柱が打ち出され、産学連携は内容拡充の時期に入ってきている。 

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.153

【産学連携の目的】

産学連携の目的としては、「学」の技術シーズと「産」からの市場ニーズを結びつけて、ビジネスのタネを見出し育てていくことであり、それにより産業界の活性化と発展に寄与していくことである。このことは「学」の研究重視の風土と「産」の利益追求を第一とする文化が直接接触することになる。 

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.155

【現状】実施件数は、年々、増加

民間企業との受託研究において、研究費受入額は約110億円と、前年度と比べて約1億円減少したが、3年連続で100億円を超えている。さらに、研究実施件数は7.145件となり、前年度と比べて192件増加している。平成22年度から平成27年度において、研究費受入額の平均伸び率が大きい機関として、立命館大学近畿大学早稲田大学とこの方面に力を入れ、産学連携の専任の職員配置をしている。

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.153

産学連携の取り組みは、

年々多様になってきています。

 

島根県立大学の取り組み】

エゴマ保湿化粧品「オメガメロディ」

定価:5,000円(税別)、267本の売り上げ

似た他化粧との差別化が十分にできていない

 

エゴマ醤油

広島県の大手醤油メーカーと共同開発。

180mlの瓶に5%エゴマ油を含有しており、2017年2月より

600円(税別)で販売しており、約10か月で、 3.476本の売り上げがある。

現在、県内6カ所で販売を行っており、売り上げも順調である。

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.154

 

エゴマあごの焼きかまぼこ

出雲地域の特産品、あごの焼きかまぼこに

エゴマの実を混ぜて製品化。

f:id:osakeherasu:20190221173101j:plain

エゴマ醤油と③エゴマあごの焼きかまぼこ

④えごまブレンド

出雲の製茶屋と共同開発。

健康的な効果が期待できるけど、

まだ証明されていない要素もある。

 

⑤ヘルスツーリズム

ストレスを感じている人を対象にした

1泊2日の体験プログラム。 

出雲大社の早朝参拝、ヨガ、温泉浴、

薬膳料理、瞑想、医療面談など。

f:id:osakeherasu:20190221191430j:plain

ヘルスツーリズムでのヨガの様子

 

【産学連携の問題点】 

マンパワーの重要性」

産学連携は国の政策的なテコ入れで枠は出来上がってきたが、これを運営していく「人」や「チーム」の力量次第である。現在、産学連携で多くの成果をあげている大学は専属チームやコーディネーターがいて、協力や情報を得ることの出来る人脈を如何に多く擁するかの日頃からの努力の積み重ねを行っている。ただ、都会の総合大学と比べて地方の小規模の本学が、独自に体制を整備するのは難しい

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.155

 「製品化・事業化の壁」

研究開発の前に立ちはだかるといわれる3種類の壁を、研究開発のフェーズによって「魔の川」「死の谷(デスバレー)」「ダーウィンの海」と言われている(図)(北村2016)。特に、「死の谷」「ダーウィンの海」である開発、製品化から、事業化までの間の難関・障壁に対しては大学側の弱い部分であり、今後産学連携の促進のためには乗り越えて行かざるを得ないハードルでもある。

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.155

f:id:osakeherasu:20190221193131j:plain

図:技術を事業に繋げる際の3つのフェーズ(障害)(北村.2016)

「県内(小規模企業)の難しさ」

本学の産学連携商品開発においては、県外企業との連携での商品開発は比較的良好である。しかし、連携先の県内企業は小規模の企業であることもあり、十分に進展していないが現状である。その理由として県外の企業は産学連携の実績も十分にあり、県内で産学連携を推進していくには「死の谷」「ダーウィンの海」が存在しており、かなり難しいことも分かった。

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.155

 

【おわりに】

「成功の定義」

産学連携プロジェクトの成功の定義は大学によって異なると言われており、プロジェクトの目標達成や技術の確立などの“上流” を成とみなす大学と、本来は企業の業務である商品化、売り上げが立つなど、下流”を含めて成功とみなす大学とに二分されている(三森.2010)

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.156

 「教員の参画意識」

本学の研究者の一部には社会貢献について極めて高い志を持った教員がいるが,学連携に関して積極的に参画する教員はまだ少ない。したがって,本学での産学連携の活性化するためにもその理解を教職員に更に高めていく必要がある。

島根県立大学出雲キャンパス紀要  第13巻  2018  p.156

【海外レポート】都市人類学者から見る昨今の都市デザインプロジェクト(ミラノ)

今までは国内の紹介をしてきましたが、

これからは海外の紹介もしていきたい

と思います。

 

地域づくり、都市計画、空間づくり、

は海外の方が進んでいますからね。

 

日本で共有されていない知識や経験も

たくさんあるので、このブログを通して

少しでも知ってもらえたら嬉しいです。

 

なお僕の英語能力は一般市民レベルです。

間違った解釈をしてしまう場合もあると

思いますがご了承いただければ幸いです。

 

さて初回は手始めにミラノ工科大学の

Shan Jingwenさんのレポートに興味深い

ことが書いてあったので、その内容を

紹介したいと思います。

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Public spaces in the making from

the perspective of urban anthropology

(都市人類学視点で見る公共空間)

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背景

20世紀に入り「自動車」が登場したことで、

まちのあり方は「ひと中心のまち」から

「自動車中心のまち」に変わりました。

 

多くの都市がこの潮流に巻き込まれました。

日本もそうでです。自動車によって魅力的な

まちの風景が失われてきました。

 

そんな中、1961年にジェイン・ジェイコブズ

アメリカ大都市の死と生」を出版し、

近代都市計画を否定しました。

https://www.amazon.co.jp/アメリカ大都市の死と生-ジェイン-ジェイコブズ/dp/4306072746

 

またデンマークの建築家、ヤン・ゲールも

「Cities for People」まちの主役はひとである、

と主張して、徐々にその考え方が世界に

広がっていきました。

https://www.amazon.co.jp/人間の街-公共空間のデザイン-ヤン-ゲール/dp/4306046001

 

ちなみに洗練された経験と蓄積されたノウハウは

世界中の都市間で共有されています。

しかし日本ではほとんど共有されていません。

田中元子さんの「マイパブリックとグランドレベル」

では以上の内容をわかりやすく書かれていて、

なおかつ日本における公共の作り方の考え方とアイデア

が満載です。世界中で共有されている経験とノウハウ

がまとまっているサイトも紹介されいるのでおすすめです。

https://www.amazon.co.jp/マイパブリックとグランドレベル-─今日からはじめるまちづくり-田中元子/dp/4794969821/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1549609650&sr=1-1&keywords=マイパブリックとグランドレベル

 

この時代背景の中で多くの西欧の伝統的な

都市では、近代都市計画の流れに乗らず、

今まで積み上げてきた都市のあり方を

守ってきました。

例えばイタリアのヴェネツィアがその一つです。

 

しかしここ最近は西欧の伝統都市ミラノでも

多くの都市デザインプロジェクトが実施され、

徐々に都市の姿が変わってきました。

 

 

What is the "master key" for urban design?

さて以上のような状況を受けて、Shanさんは

次のようなことを書いてあります。

Interestingly, urban design projects that followed the expertise of city planners and architects, who have professionally trained, seem fail to impress citizens.

(興味深いことに、建築家や都市計画家など、専門的な訓練をした人が実施する都市デザインプロジェクトは市民を感動させることができないようです。 )

 

な、なんだってー!!

僕も建築・都市計画の専門教育を受けた端くれ。

びっくりしちゃいました笑

しかしよく見てみると次のようなことが続いて

書かれています。

 

After nearly all styles and genres have experienced the post generation of development and change, it is difficult to judge exactly what is the beauty. There is no uniform standard. Therefore, as a city planner or architect, the master key for urban design projects is not the physical forms of space, but some other factors. 

(あらゆるスタイルやジャンルが開発され経験してきた今、何が美しいかを正確に判断することは難しい。統一された基準はありません。したがって、都市デザインプロジェクトの鍵は、物理的な空間形式ではなく、ほかの要因にあります。)

なるほど。

こういった考え方が人類学の

特徴なのでしょうね。

 

ほかの要因のところであげているのは、

「カスタム」の仕方です。

洗練された経験と蓄積されたノウハウは、

考え方としては簡単に輸入することが

できますが、実際に実施するときには

その国、その土地の風土や思想に合った

形で移植しなければいけません。

【書評】ビレッジプライド ④最強の地産地消レストラン

前回は外貨を獲得するため、

また認知度を向上させるために

京進出挑戦の話をしました。

 

挑戦期間は約3年間。

東京という大消費地に圧倒され、

早々にPR事業に切り替えるも成果は

一過性のもので、邑南長の経済を

活性化させるまで至りませんでした。

 

悩む寺本さんは町長のアドバイスを受け、

山形県鶴岡市の「アル・ケッチャーノ」

というレストランに出会い、

地産地消レストランに方向転換します。

邑南町の食材は素晴らしいと十分に理解していながら、僕は今まで「特産品を都会で売る」という固定観念にずっととらわれていた。良い食材は、町に来て食べてもらったほうがよいのではないか!そう閃いたのだ。

寺本英仁『ビレッジプライド』109ページ

 

欧州のミシュラン選考基準

今でこそ、ミラノやパリなど、ヨーロッパを代表する都市にもあるけれども、発端は地方の片田舎のレストランに与えられる称号だったという。

とくにイタリア、フランス、スペインといった多くのグルメが旅する国では、いい食材がある地方がリスペクトされている。料理人はその片田舎で地元の食材を活用して、素晴らしい料理を提供している。

寺本英仁『ビレッジプライド』110ページ

イタリアについてもっと調べてみると、イタリアには500-1000人程度の小さな村が多くあり、日常の衣食住を徹底して地元でつくっており、その生産者たちが定住している。そのこと自体が地域独自の文化となって、多くの観光客を集めている  

寺本英仁『ビレッジプライド』111ページ

 

地域循環で地域を豊かに

東京中心の経済システムからの脱却

僕が本当にやりたいのは、都会から金をぶん取ることではなかった。

地域でお金が循環していき、その美しいコミュニティに憧れて外から人が来て、さらに経済が拡大する仕組みをつくりたいのだ!

僕が実現しなくてはいけないのは、「経済が循環して拡大していく地域づくり」であり「そのための仕組みづくり」だったのだ。

寺本英仁『ビレッジプライド』112ページ

 

A級グルメ構想

「A級グルメ」とは、邑南町で生産される良質な農林産物を素材とする「ここでしか味わえない食や体験」と定義した。イタリアの農村の暮らしをかなり意識していた。

「食」に関する産業がさかんになれば雇用機会は拡大する。「食」から「職」を生み出す起業家を育成することや、「食」を求めて邑南町を訪れる観光客を増やすことなど、さまざまな取り組みを掲げた。

寺本英仁『ビレッジプライド』115ページ

この構想をまとまめるために

邑南町の事業者に集まってもらい、

「観光」「定住」「起業」のテーマで

議論を重ね、さらに町の課題や強み、

地域の特性についても話し合いました。

 

こうして、A級グルメ構想のもと、

邑南町役場がつくる地産地消レストラン

を作っていくことになります。

そして第一回でも紹介した耕すシェフ制度や

食の学校を設立することで、食から職へ、

また食をテーマとしたブランディング

を着実に進めています。

 

東京経済から地域循環への転換

今回の内容から得られることは、

「ターゲットをどこに設定するか」ということ。

つまりどこに軸足を置いて、どっちの方向を向いて

地域づくりをしていくか、ということです。

 

当初の寺本さんは東京中心の経済システムに

乗っかる戦略を立てていました。

実は現在の日本において、地域循環派よりも

地域外の経済システムに乗る戦略の方が多いです。

その理由はいつくかあります。

地域内で循環させるにしても、妬みなどの感情

が生まれてうまくいかない。よって地域内では

商売が成り立たない、と主張しています。

 

しかし、かと言って東京中心の経済システムに

軸足をおいてしまうとコントロールができなく

なってしまいます。販路が増えて売上は上がる

かもしれませんが、その地域ならではの豊かさ

が失われてしまうかもしれません。

 

現代は目まぐるしく時代が変わっていくので、

どちらも間違っていないし、どちらも可能性

があると思います。その中で島根県邑南町は

有力な地域循環推進派だと思いますので、

これからも追っていきたいと思います。

【書評】ビレッジプライド ④最強の地産地消レストラン

前回は外貨を獲得するため、

また認知度を向上させるために

京進出挑戦の話をしました。

 

挑戦期間は約3年間。

東京という大消費地に圧倒され、

早々にPR事業に切り替えるも成果は

一過性のもので、邑南長の経済を

活性化させるまで至りませんでした。

 

悩む寺本さんは町長のアドバイスを受け、

山形県鶴岡市の「アル・ケッチャーノ」

というレストランに出会い、

地産地消レストランに方向転換します。

邑南町の食材は素晴らしいと十分に理解していながら、僕は今まで「特産品を都会で売る」という固定観念にずっととらわれていた。良い食材は、町に来て食べてもらったほうがよいのではないか!そう閃いたのだ。

寺本英仁『ビレッジプライド』109ページ

 

欧州のミシュラン選考基準

今でこそ、ミラノやパリなど、ヨーロッパを代表する都市にもあるけれども、発端は地方の片田舎のレストランに与えられる称号だったという。

とくにイタリア、フランス、スペインといった多くのグルメが旅する国では、いい食材がある地方がリスペクトされている。料理人はその片田舎で地元の食材を活用して、素晴らしい料理を提供している。

寺本英仁『ビレッジプライド』110ページ

イタリアについてもっと調べてみると、イタリアには500-1000人程度の小さな村が多くあり、日常の衣食住を徹底して地元でつくっており、その生産者たちが定住している。そのこと自体が地域独自の文化となって、多くの観光客を集めている  

寺本英仁『ビレッジプライド』111ページ

 

地域循環で地域を豊かに

東京中心の経済システムからの脱却

僕が本当にやりたいのは、都会から金をぶん取ることではなかった。

地域でお金が循環していき、その美しいコミュニティに憧れて外から人が来て、さらに経済が拡大する仕組みをつくりたいのだ!

僕が実現しなくてはいけないのは、「経済が循環して拡大していく地域づくり」であり「そのための仕組みづくり」だったのだ。

寺本英仁『ビレッジプライド』112ページ

 

A級グルメ構想

「A級グルメ」とは、邑南町で生産される良質な農林産物を素材とする「ここでしか味わえない食や体験」と定義した。イタリアの農村の暮らしをかなり意識していた。

「食」に関する産業がさかんになれば雇用機会は拡大する。「食」から「職」を生み出す起業家を育成することや、「食」を求めて邑南町を訪れる観光客を増やすことなど、さまざまな取り組みを掲げた。

寺本英仁『ビレッジプライド』115ページ

この構想をまとまめるために

邑南町の事業者に集まってもらい、

「観光」「定住」「起業」のテーマで

議論を重ね、さらに町の課題や強み、

地域の特性についても話し合いました。

 

こうして、A級グルメ構想のもと、

邑南町役場がつくる地産地消レストラン

を作っていくことになります。

そして第一回でも紹介した耕すシェフ制度や

食の学校を設立することで、食から職へ、

また食をテーマとしたブランディング

を着実に進めています。

 

東京経済から地域循環への転換

今回の内容から得られることは、

「ターゲットをどこに設定するか」ということ。

つまりどこに軸足を置いて、どっちの方向を向いて

地域づくりをしていくか、ということです。

 

当初の寺本さんは東京中心の経済システムに

乗っかる戦略を立てていました。

実は現在の日本において、地域循環派よりも

地域外の経済システムに乗る戦略の方が多いです。

その理由はいつくかあります。

地域内で循環させるにしても、妬みなどの感情

が生まれてうまくいかない。よって地域内では

商売が成り立たない、と主張しています。

 

しかし、かと言って東京中心の経済システムに

軸足をおいてしまうとコントロールができなく

なってしまいます。販路が増えて売上は上がる

かもしれませんが、その地域ならではの豊かさ

が失われてしまうかもしれません。

 

現代は目まぐるしく時代が変わっていくので、

どちらも間違っていないし、どちらも可能性

があると思います。その中で島根県邑南町は

有力な地域循環推進派だと思いますので、

これからも追っていきたいと思います。

【書評】ビレッジプライド ③東京進出の壁と迷走

前回は邑南町における、

情報発信とコンテンツや

ブランドの作り方について

紹介しました。

 

ネットショップの成果と限界

「みずほスタイル」は、

試行錯誤を繰り返したことで、

売上が伸び、専属スタッフを

雇えるようになりました。

しかし寺本さんはネットショップ

だけでは住民の経済状況が良くなる

可能性は低いと感じていました。

 

 

そこで外貨を獲得するシステムづくりを

さらに進めるため京進を企てます。

 

生産者が人を雇えるようになるためにも、もっと売上が必要だった。そうなると、ネットショップ以外に販路を広げなくてはいけない。僕は「それならば東京で売ろう!」と考えた。

僕は役場の会議で「これから販路の拡大をしていく上で、東京にターゲットを絞っていくべきです!」力説した。当時、東京に出張するのは町長ぐらいで、職員はよほどのことがない限り行くことはなかったのだが、「販路開拓のため東京を目指そう!」と提案したのだ。

寺本英仁『ビレッジプライド』86-87ページ

 

京進出の壁に直撃

まずは東京のアンテナショップで

邑南町フェアを開催しました。

そのフェアの開催をきっかけに、

島根県庁から大手バイヤー

を紹介してもらいました。

そこで一流ホテルのフェアが

決まりかけましたが、圧倒的に

物量が足りなく断念することに…

京進出の方向転換を

余儀なくされました。

行政はよく「食のブランド化」と口にする。もう少し具体的に言えばブランド化=差別化というのが僕の認識だ。しかし、よそとの違いを打ち出そうにも、前提として東京という巨大な胃袋を安定的に満たすための量を生産できなくては話にならない。それをはっきりと悟った。人口が減少して地域内の経済が成り立たない。だから、大消費地である東京で外貨を獲得するために東京に進出する、という「外貨獲得」を目指していた。

ところが、人口が減少している邑南町では、生産者自体も少なくなっているのだから、東京に送り出すだけの量をつくるなんて絶望的に困難なことなのである。 

 

邑南町東京PRセンターの設置

邑南町の素晴らしさをアピールする場

人口減少によって地域経済の循環が成立しなくなることから脱するため、「みずほスタイル」をスタート、さらに東京での営業活動で販路を求めたが、生産者の人材不足から一定の量を供給できないことがわかった。それならばと、と打ち出した方針は2点。

都市部では販路を求めるより、邑南町のプロモーションに徹底し、町自体をまるごとブランド化すること

地元では生産者の育成と、これから町の産業を担ってくれる人材を確保していくこと

町のブランド化の手始めとして、「邑南町東京PRセンター」を設置した。初期のPRセンターの役割は、国の助成制度の情報収集と、邑南町のブランド化に効果的な東京の人材とのコネクションづくりだった。東京PRセンターの職員は民間に委託して、現在3代目だ。町の成長段階においてニーズを明確にして適合する人にお願いしているので、とても上手く機能している。

寺本英仁『ビレッジプライド』98ページ

 

生産者の育成を目的とした、 

食に関するセミナーの開催

国の補助事業を活用して毎年約50講座、2013年まで6年間も続けた。料理家はもちろんのこと、パッケージのデザインの知識を身につけてもらおうと、地域特産品のブランド開発で著名なデザイナーも招聘した。

「みずほスタイル」の生産者をはじめ、町内の多くの人々がこの講座を受講することで、今までになかった知識や技術に触れ、ぐんと底上げすることができた。

寺本英仁『ビレッジプライド』99ページ

 

東京でのPRを講師にお願い

そのために関係性を深める

専門家の人たちは講演会で話したり、テレビ、新聞、雑誌などから取材を受けたりする機会も多いから、邑南町のことを話してもらうようにお願いしたのだ。

協力してもらうためには、講師のことをよく理解しておくのは当たり前だ。僕はますます事前勉強に身が入った。講師も一回呼ばれて終わりなら、邑南町に関心を持たないはずだから、僕は同じ講師に何度もセミナーを依頼した。

寺本英仁『ビレッジプライド』100ページ

 

 

東京における

邑南町のブランディングの試み

東京のレストランを貸し切っては邑南町の食材を持ち込み、食のブロガーや料理研究家を招いて料理を振る舞うなどのイベントを試みたのだ。

そのためには、やはり加工・調理できる人間が必要になる。国の雇用対策事業に応募して、役場内に「食のプロジェクトチーム」を結成した。

ただ、そうやってレシピ開発をして、食のブロガーや料理研究家に石見和牛肉やキャビアを振る舞ってみても、邑南町食材のブランド化に効果があったとはとても言えない。

寺本英仁『ビレッジプライド』100-101ページ

 

「寺本さんのは地域振興ではなくて地域信仰」

レストランの貸切でお世話になっていた、東京神田の「なみへい」のオーナー、川野真理子さんからズバリ指摘された。

華々しく動いているようだが収益にはつながらないのだから、地域経済の活性化という「振興」になっていない。結局、お祭りを開催して「邑南町は素晴らしい!」と声を上げているだけなので「信仰」と言われても返す言葉が見つからない。

寺本英仁『ビレッジプライド』101-102ページ

 

寺本さんの東京進出チャレンジは

2008年から2010年まで約3年間

続きました。

 

本の中では迷走や空回りと書いて

ありますが、葛藤しながらも

トライアンドエラーを続けた背景には

熱意や邑南町への想いを感じます。

 

【書評】ビレッジプライド ②認知度アップを目指す「みずほスタイル」

2回目となる今回は、

認知度アップのために、

邑南町がどんな施策を行って

来たのかを紹介して行きます。

 

認知度アップを目指す背景には

平成の大合併があります。

「邑南町」はなんと読むのか?

何県のどこにあるのか?

出来たばかりの邑南町の名前は、

島根県内でも認知度が低い状況でした。

なんとかして認知度をアップさせて、

町の特産品を世の中に広めて行きたい

という問題意識が邑南町にありました。

 

そこでスーパー公務員である

寺本さんが最初に手がけたのが、

2005年にオープンした、

邑南町のインターネットショップ

みずほスタイル】です。

 

始まりは寺本さんの直感力

インターネットを上手く活用することで、今まで誰も知らなかった邑南町の観光地や、石見和牛肉ほかさまざまな食材を全国の人に知ってもらうことができるはずだ。来てもらったり、買ってもらったりできるのではないかーそう直感した僕は、邑南町の観光と食を情報発信して、買い物もできるサイトをつくってみようと考えた。

当時、すでに「楽天市場」や「アマゾン」はあったけれども、今のように誰もが知っているような存在ではなかった。まして自治体が地元の産品を販売しているようなインターネットサイトなど、全国どこを探してもなかったと思う。

寺本英仁『ビレッジプライド』32ページ

上司である三上係長に

イデアをぶつける

「やってみればいいじゃないか。民間ではできない、しかし公的に必要性があることなら、行政がやる価値は十分にある。寺本が『町内の経済が成り立たないから、邑南町として外貨を獲得するシステムを構築する』と言うのなら、俺は応援するぞ」

そして、このネット事業を進めていくう上で、三上課長から2つの宿題を与えられた。

一つ目は、邑南町の特産品をつくっている生産者をすべて回って意見を聞くこと、そしてその生産者、全員がこのネット事業に参画すること。

二つ目は観光協会の予算を使うのであれば、観光協会の役員、会員にすべて説明してネット事業を納得してもらい、事業内容と予算額を理事会と総会で承認を受けること。

寺本英仁『ビレッジプライド』36ページ

寺本さんは半年以上かけて

三上係長から与えられた宿題を

やりきりました。

 

みずほスタイル開設

集まった邑南町の特産品は、

石見和牛肉、石見ポーク、日本酒、

スイーツ、自然放牧牛乳、キムチ

醤油、キャビアなどなど。

そして観光協会の理事会で

ネットショップの必要性を説明し、

なんとか理解を得て、ネットショップの

開設までこぎつけました。

 

 

売り上げを上げるために試行錯誤を重ねる

チラシを作って配りまくる

 →すぐできてお中元・お歳暮の時期には

  効果は見えやすいが、限界がある

ブログを作って毎日情報発信する

 →みずほスタイル裏側と寺本さんの

  プライベートをさらけ出す

 →アクセスが上がれば売り上げも上がる

広島市で開催されるイベントに出店

 →売り上げを上げることで生産者の

  モチベーションを維持した

・著名おとりよせサイトに取り上げてもらう

 →出品に数万円はかかるが、取り上げて

  もらえれば効果は抜群

商品のレベルを上げる

 →生産者同士でコラボレーション商品開発

・邑南町主催の全国公募型・特産品おとりよせコンテスト開催

 →800万円の予算を得るため国の補助事業に応募

 →コンテストの肝である審査員の依頼

 →食のプロによる邑南町ブランドの基準ができて、

  認知度と売り上げが向上した

・年間売り上げが2000万円を超えたところで民営化

 

2005年のオープンから2009年の民営化まで

上に書いたような試行錯誤をいち公務員が

展開してきました。

この年代は、スマートフォンSNS、無料で

使える便利なインターネットサービスがない頃

なので、どんだけ寺本さんは時間を掛けて

足で稼いだのか想像を絶します。。

 

 

そんな「みずほスタイル」を通しての

外貨を稼ぐシステムの構築を進める中で、

寺本さんは東京との関係性に葛藤します。